2020年 11月 11日
三途の川のせせらぎの音 2020.11.11.

過日、その暑い暑い夏の盛りに、ご自分の作品創りについて熱く語って帰っていった若い男性作家がありました。
その時、別れ際に「もし個展がご希望なら、しっかりいい作品をお創りになって、早く見せに来てね。わたくしも年だから、三途の川のせせらぎの音が聞こえ始めているので、急がないと間に合いませんよ」と。
すると、その青年は「佐藤さん、大丈夫ですよ。僕がそのせせらぎの音を消してあげましょう」というのです。
「本当かしら、だったらうれしいわ」。若い青年の言葉に年老いた私はほのぼのと恋心のきざしのようなときめきすら感じながら、頼もしく、ほほえましく受け止めていました。
その後、半年ほどたったついこの間のことです。その青年がいろいろ自らの創意・工夫を重ねたと見受けられる試作作品を持ってやってきました。若い男の子らしく黑と白を基調にしたかなりモダンな雰囲気を保ちながら力強く凛とした作品でした。私はすぐに、これなら大丈夫。来年春をメドに個展を開きましょうと約束を交わしました。
青年が帰った後、ふと我れに返って思うのでした。「あら、例の三途の川のせせらぎの音が私の脳裏から消えたようだわ」と。おそらくあの青年の成長を見届けたいという思いが、もう少し生きてみましょう、という強い願望に変化したに違いないと思えます。
「三途の川のせせらぎの音を止めてあげましょう」というたわいない約束が現実になるなんて、そんな感動はめったに味わえるものではありません。八十五歳への恵みのようです。
長生きして、淡いときめきとともにあの頼もしい青年の成長を見届けなくては、と思うことしきりなこの頃です。
