つ ぎ あ て 2022.10.4
2022年 10月 04日
「つぎを当てる」(悪くなった所を修理する)なんて言葉は物のあふれた世代に生きる若い方々には縁遠い、彩の冴えない言葉かもしれませんが、八十七歳の老婆には懐かしく、いとしい言葉なのです。
そんなわけで今年の夏休み、私の「からだ」の二か所の老朽化した、ほころびに継ぎを当てることにしました。一つ目は耳です。聞き返すことが増えたり、テレビのボリュームが大きいと言われたり、が多くなったので耳鼻科を受診して補聴器という「つぎあて」をすることにしました。近頃の補聴器は驚くほど性能がよく、耳に入る音を検知して、騒音の音量を自動的に抑え、安定した会話が耳に入ってきます。耳栓の機種も軽くて目立つことなく、耳にぴったり合うようにできていて違和感がありません。おまけに補聴器をスマートフォンにつなぐと通話の声が直接届いたり、どこかに置き忘れてもその位置がアプリに表示されるためすぐ置き忘れた場所がわかるということです。そんな素晴らしくスマートな最新鋭の補聴器を耳に使用していると思うと、若者が超最新鋭のスマートフォンを手にしたのと同じくらいわくわく感を覚え。きぶんが若返ったようです。
さて、二つ目の「つぎあて」は上瞼の筋肉が老化してきたせいでしょうか、垂れ下がって、物がめっきり見えにくくなってきたので、外出時こけでもしたら大変と、近頃の若者たちが美容のためにしている二重瞼手術と同じような、眼瞼下垂手術を受けたのです。美容のためではないと自分自身に言い聞かせてはいるものの八十七歳のお婆さんが、と思うとなんだか気恥ずかしく思いながらも、かなり重い決心をして手術に臨みました。何のことはないさほど痛くもなく片目十分、両目で二十分ぐらいで簡単に済み、経過も好調でした。何はともあれ瞼を切開し、重い瞼を引き上げたのですから、すっきりした目元になり、表情もこころなしか優しくなっているようです。
おかげさまで出会う人から「近頃、なんだか雰囲気が若く見えるわ」とか「あら、可愛いわね」などとお声がけをいただき、それがお世辞だと分かってはいても女は幾つになっても嬉しいものです。
これら、この二ッの「つぎあて」がこれから終末期を迎える私の人生にどんな彩りを添えてくれるでしょう。おりしも紅葉の季節がやってきます。