想定外も乙なもの 2023・5・16
2023年 05月 15日
近頃はリップサービスよろしく、来廊のお客様に作品のあれこれと世間話など話しかけることが多くなりました。そんな時お客様からよくうける質問があります。それは「佐藤さんはもともとギャラリーが好きでお始めになったのですか?」と。それで私は「とんでもない。食べるのに困ってやり始めただけのことなんで、全く想定外のことです」と答えます。
むかしを振り返ってみますと、もともと、京都・西陣のいささか封建的な気風の残る織屋のおてんば娘だった私。高校時代は女子高で新聞部を創部したり、将来の希望は新聞記者になることでした。たまたま縁あって新聞社に就職出来たものの二年ぐらいたったころ、戦死した父に代わって家業の織屋を懸命に守っている母親が大病を患い、その涙についとほだされ仕方なく家業を手伝い、その数年後、兄嫁の到来で、やむなく家業の手伝いをやめざるを得ませんでした。
でもこのことはあながち悪いことではなかったようです。家業のほうも順調に回復しているようなので、今度はちょっと遊んでみましょうと、当時としてはまだ珍しいスキーが趣味で染織にも造詣がふかく、絵の技量も優れた評判の図案屋さんに弟子入りすることにしました。西陣には着物や帯の柄を書く「図案屋」、今でいうイラストレーイターでしょうか、そういう職業があって、その図案がいいと「よく売れる反物(着物)」に仕上がるのです。
そこでは図案よりもスキーをたっぷりコーチしていただき、冬は近場の鞍馬の奥の花背で、春は景色の良い広々とした乗鞍で、雪のない夏は穂高の頂上近くの唐沢の雪渓で滑るなど、最高に楽しい日々を過ごしました。その時見上げた夏の夜の澄み切った美しい神秘的な星空は私の人生観をすっかり根底から変えたようです。
三年を過ぎたころ、もう二十九歳にもなるのにこのままでは経済的な独立はむつかしいと思い結婚を決意し、母親の進めるお見合いで貸衣裳を営む夫と結婚。夫との生活はおちつき安泰そのものでした。
ところが長い人生には想定外のことがいくつもあるらしく、頼りにしていた義母がなくなり、数年のち優しかった夫も他界し、嫁業に徹して生きてきた私は途方にくれました。何も専門知識のない私。そこで陶器・ガラス・布もの何でも扱える商いは?と思案の末始めたのがギャラリーだったのです。
それから二十八年いろいろ苦労はありましたがお陰様で、いまでは若いお客様との会話も弾み想定外の人生を歩み始めています。
つくづく人生なんて生きてみないとわからないもので、その人生をはらはらしながら生きるのも乙なものだと思っています。