一日一文 2018

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1月の私のエッセイ「老いの始まり」

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 3月に予定の版画展「さくら猫」の作者、宇田川民生さんから賀状として送られてきた猪です。




               老 い の 始 ま り

 年の干支は亥(い)。そし私は七回目の年女。いくら猪突(ちょとつ)猛進のイノシシも七回目を迎えるといささかくたびれてくるようです。
 いときにはどんなことにも敢然と立ち向かい目的を達成するため、わき目も振らずそれこそ、猪突猛進で懸命に事に当たっていたようです。ところが亥も七回を迎えますと八十四歳になりそろそろ老化の始まりを感じるようになりました.

 れでも、たった四、五年前のことですが八十歳を過ぎたばかりのころは、春の桜どきにはお花見に、暑い夏の盛りには涼しい山へと、仕事で忙しい若かったころには、味わうことのなかった愉(たの)しみしみも覚えたのでしょう、少々のよそ見をするようになり、このゆとりが老いの始まりなのかと老いを賛美するかのように、周りの人たちに「人生は六十歳から面白くなって七十代はもつと楽しく、八十代はまだまだ伸び盛りなんよ」とお声掛けもしてルンルンの気分でした。

 ころが昨年五月半ば、以前から警告を受けていた骨粗しょう症が原因と思われますが、どうしたはずみかにわかに腰に劇痛を覚え脊椎の圧迫骨折を発症したらしく、歩けなくなつたのです。
 頃になってやっと痛さをこらえて歩けるようになったのですが、人手を借りなければ何もできない自分、圧迫骨折で体型が変わり、背中も丸くなり、七センチも背が低くなった自分の老いのみじめさに、つくづくほんものの老いが始まったのだと悲しく思いました。

 んなときです。今年三月、さくらの花の咲くころに予定している版画展「さくら猫」〈仮称〉をしていただく宇田川民生さんから賀状が届きました。元禄時代の歌人飯塚染子が詠んだ「花ならば 花ならましを桜花 花の色香を 花に任せて」という歌と共に。〈花の心は花にしかわからない、桜の色香は桜自らが生み出すものならば私は桜そのものに成ろう〉という意味だそうです。
 
に「亥年生まれの私は想う、猪突猛進だけが猪ではなく桜の木の下で花を愛でるそんな猪なろうと」、宇田川さんのコメントもついていました。
 
 の素敵な感性に満ちた賀状で腰の痛さが癒されたのでしょう、しっかり元気をいただきました。日ごろからギャラリーを営みながら来客や作家と共に感性の豊かさを育んできたからこそのお蔭だと思います。

 十代はまだまだ伸び盛り、老いの始まりもなんのその、何歳になろうともギャラリーを大事に、元気を出して、もう少し頑張って生きてみましょう、と思うのでした。









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by gallery-sato | 2019-01-17 11:33 | 一日一文

はやくも三日

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 新しい年も何もしないうちに、あっという間に三日を迎えました。天候も爽やかな晴天で、まことに平和そのものです。
 さて今日からエッセイ教室の宿題「始まり」をまとめなければなりません。「私の老いの始まり」でも書いてみましょうか?



























by gallery-sato | 2019-01-03 11:51 | 一日一文

あらためて 、謹賀新年

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 あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします。
さて今年はいのしし年。いのしし年生まれの私は思うのです。猪突猛進だけが猪でなく、老いに伴う様々な悲しさを受け入れながらゆっくりと新しい時代を自分なりに克服してゆく、そんな勇気のある猪になろうと思っています。  (猪は宇田川民正さんの版画です)
















by gallery-sato | 2019-01-01 19:51 | 一日一文

一年を振り返って「情け」を知る。


 掲載が遅くなりましたが昨年の思いをまとめたものを書いていましたのでここに掲載させていただきました.昨年の一般的な漢字は「災」でしたが、わたくしはその「災」から発生した情けに注目いたしました。


 日が経つのは早い、もう一年が過ぎるのかと振り返ってみると、いろいろなことがありました。まずは私の圧迫骨折、ついで夏の猛暑や豪雨。それも、北海道から九州までのおおくの地域で、今までに経験したことのない、とてつもない悲惨な被害をもたらしました。

Tの発達で人間関係が希薄なこの頃ですが、人々はそれらの悲惨な光景を目の当たりにし心が大きく動いたようです。人間らしい思いやりや、優しさがふつふつ芽生え被災地を訪れ役に立ちたいと思う人が大勢集まり、災害ボランティアとして組織的に活動し始めるようになりました。

のように、感じてこころを動かすという人間らしい感性の持ち主が活動にたくさん参加なさっている様子を新聞やテレビなどの報道で見聞きして心温まる思いでした。互いに助け合ってお金の豊かさでないあたたかい未来が開けるのではないかと、頼もしく安堵しました。


自身は、思いがけなく病気をして、たくさんの人々の温かさをいただきながら日々を過ごしました。しかし、脊椎の圧迫骨折は、それはたとえようのない痛さです。近くのスーパでさえ痛くて歩いてゆけないのです。こんな状態では商売もできないし生きる張合いがないと落込みました。

 ころが、痛みの最中の人様のいたわりの言葉や親切な行為が身に染みてありがたく思われ、健康だった時よりもいっそう心に響いて「人の情け」が私をやさしくしてくれたようです。


 れにしても背中の圧迫骨折のおかげで背中が丸くなり体型がすっかりお婆さんになったみじめさを娘に「とうとうお母さんもお婆さんになって仕舞ったわ」と嘆きますと、娘は同情どころか「あたりまえでしょう。だって、お母さんは八十三歳でしょう。誰が見たつてお婆さんだわ。」と明るい声で当然のことのように答えましたが、娘の優しさがたっぷりと伝わってきました。

  心学園理事長の渡辺和子さんが「眼には見えないけれども大切なもの」と題した随筆の中で「老いに伴うさまざまの悲しさを一つひとつ<わが物>として認める勇気をお持ちなさい。」と諭されていました。

この一文にも、ほのかな心の恵みをいただいたようで、とにかくやれるだけやって、明るく前向きに過ごすことにしました。

  て十二月、そろそろ「今年の漢字」が話題になりそう。今年、私は人の情や愛情の「情」なさけ・じょう、にしょうと思っています。





 


by gallery-sato | 2019-01-01 16:28 | 一日一文