2022年 05月 25日
天使になったおばあさん 2022.5.22
天使になったおばあさん
今月は「変身」というお題をいただきましたが、私のようなおばあさんが何に変身したものか、たいそう困りました。
むかし、子供のころはしばしば大きな翼の鳥に変身して、気持ちよく大空を舞ってみたいとか、ちょうちょうに変身して、ひらひらと美しいお花畑を時には甘いおいしいお花の蜜を吸いながら飛びまわってみたいと空想したものでした。
そんな無邪気な幸せな幼少の時代は瞬く間に過ぎやがて一人の女性として結婚し、主婦ではなく嫁という立場で生き、母となり、子育ても終え、介護の末義母も見送り、五十八歳で寡婦となる。そして生活のため、ギャラリーのオーナーという職業を見つけ、おかげさまで店を今日まで二十六年つづけてきました。
それなりに生きて、いろいろ経験をさせていただきました。幾つかの苦しいときや悲しいときもありました。たまにはたのしいことやよろこばしいこともあり、泣いたり笑ったりの歩いてきた後を振り返ってみると,なんと八十六年。長く生きてきたものだとつくづく思っています。
年を取り、体が思うように動かなくなった今は、ギャラリーを二十六年楽しく続けてきた自分に満足し、支えてくださる方々に甘え、もう今までのやり方を固持するのではなく、他人様のいいところは、頭から無視するのではなく、なぜそれがいいかを見極めたうえで、自らの中に取り入れられるようになりました。
年を取りますと、どんな人の言葉にも耳を傾け、大抵のことは受け入れられる寛容な心が芽生えるものだと自分でも感心しているこの頃です。
さて、そのせいでしようか幼いころに変身を夢見ていたように、今の私は背中に小さな羽根を付けた天使に変身して宇宙を遊泳してみたいと思い始めています。そして時には人々にキューピットのような「愛」でなく「豊かな感性」という矢を飛ばしてみたいのです。人々の感性がより豊かになって、生きづらい世の中が少しでもゆるやかになればいいのにと、想像を膨らませています。
長い年月を生きてきたわたくしですがまだまだ工夫次第で新しいことに挑戦できそうです。
もう少しの間お仲間と仲良くさせていただいてこの世で楽しく愉快に暮らしたいと願っています
2022年 03月 22日
会話で得たもの 2022.3.22
年を取ると耳が遠くなるということは、よく聞いてもいますし、わたくし自身も八十七歳の老人、事実聞こえ難くなって困ってもいます。ところが近頃ふとこんなことに気が付いたのです。
耳が遠くなったので、人様のお話を聞き洩らしてはいけないと、しっかり注意深くお聞きする習慣がついてしまいました。そのことが功を奏したのでしょうか、ちょっとした会話のなかにも聞こえてくる言葉に温かみや心の弾みを感じることが時にあるのです。
我が家は五十五歳の娘と八十七歳の母との老々介護の暮らしですが、過日のこと、「母さんに、近頃少々ボケが来たらしい!」と嘆きますと、「昔からよ、今に始まったことでないわ」とこともなげに。またある時は「顔にしわが増え、おばあさん顔になったわ」と悲しげに言いますと、「あら、お父さんがよく言っていたでしょ、母さんはもともとから老け顔だって」とからかい半分に言うのです。昔だったらすぐさま「母親をからかわないでよ」と、しかりつけるところですが、耳が遠いせいでしょうか、それとも年のせいでしょうか、そんな娘の明るい声がやさしく聞こえ私の沈む気持ちを瞬く間にほぐし、いたわりの温かいものがほのぼの伝わってくるのでした。
またこんなことも。私の営むギャラリーでの会話。ずいぶん前からのおなじみの客が久しぶりにお見えになって「オーナーさんは少しもお変わりございませんね」などと歓談しながら「むかし、ギャラリーに来はじめたころオーナさんが玄関先で、買わなくてもいいから観に来てね、遊びにいらっしゃいよ」と、言っていただいたことで、気軽に度々お邪魔させていただいたのよ、」と。さらに続けて「でもね、家のあっちこっちに買い求めた作品がたくさん飾っているのよ。」と大笑い。
私は常々ギャラリーというところは「遊ぶところ、観るところ、お気に召したらお求めになって可愛がってあげて」と云い、それがギャラリーのあるべき姿だと思ってきました。売り上げで評価するのでなく感性の満足度で評価するよう心掛けていたおかげで貧乏神様とのおつきあいが絶えません。その貧乏が促してくれる緊張感と、人と人との温かい会話で元気を頂き今日まで続けられたように思います。
このように人と人を介しての会話は、今はやりの「ライン」などではとても望めそうにない、老いをかばってくれる温かい絆だと思います。
