年を取ると耳が遠くなるということは、よく聞いてもいますし、わたくし自身も八十七歳の老人、事実聞こえ難くなって困ってもいます。ところが近頃ふとこんなことに気が付いたのです。
耳が遠くなったので、人様のお話を聞き洩らしてはいけないと、しっかり注意深くお聞きする習慣がついてしまいました。そのことが功を奏したのでしょうか、ちょっとした会話のなかにも聞こえてくる言葉に温かみや心の弾みを感じることが時にあるのです。
我が家は五十五歳の娘と八十七歳の母との老々介護の暮らしですが、過日のこと、「母さんに、近頃少々ボケが来たらしい!」と嘆きますと、「昔からよ、今に始まったことでないわ」とこともなげに。またある時は「顔にしわが増え、おばあさん顔になったわ」と悲しげに言いますと、「あら、お父さんがよく言っていたでしょ、母さんはもともとから老け顔だって」とからかい半分に言うのです。昔だったらすぐさま「母親をからかわないでよ」と、しかりつけるところですが、耳が遠いせいでしょうか、それとも年のせいでしょうか、そんな娘の明るい声がやさしく聞こえ私の沈む気持ちを瞬く間にほぐし、いたわりの温かいものがほのぼの伝わってくるのでした。
またこんなことも。私の営むギャラリーでの会話。ずいぶん前からのおなじみの客が久しぶりにお見えになって「オーナーさんは少しもお変わりございませんね」などと歓談しながら「むかし、ギャラリーに来はじめたころオーナさんが玄関先で、買わなくてもいいから観に来てね、遊びにいらっしゃいよ」と、言っていただいたことで、気軽に度々お邪魔させていただいたのよ、」と。さらに続けて「でもね、家のあっちこっちに買い求めた作品がたくさん飾っているのよ。」と大笑い。
私は常々ギャラリーというところは「遊ぶところ、観るところ、お気に召したらお求めになって可愛がってあげて」と云い、それがギャラリーのあるべき姿だと思ってきました。売り上げで評価するのでなく感性の満足度で評価するよう心掛けていたおかげで貧乏神様とのおつきあいが絶えません。その貧乏が促してくれる緊張感と、人と人との温かい会話で元気を頂き今日まで続けられたように思います。
このように人と人を介しての会話は、今はやりの「ライン」などではとても望めそうにない、老いをかばってくれる温かい絆だと思います。