2021年 03月 11日
他人の未来 2021・3・11
近ごろ、思うように足が動かず、外出の楽しみが少なくなったせいでしょうか、以前にもまして年賀状が待ち遠しくなった。ところが、このところ年々年賀状の枚数が減り続け寂しいが仕方ない。みんな齢を重ね次々と三途の川とやらを渡って帰つて来ないのだから。それに近頃ははがきでなくメールでの賀状も増えた。
そういえば例年はがきで賀状を送ってきていた幼なじみの友人からの今年の賀状はメールだった。
メールには「今年もよろしくお願いします」との挨拶文に続いてお元気でお仕事続けて居られるようで何よりと思います。あなたらしく生きて行かれることを祈ります。私は、そこそこの元気とささやか幸せを感じながら穏やかに過ごしています。どうぞご健勝にて頑張ってください。」
と簡単な文章が書かれていただけだった。
が、歳を重ね、ようよう終着点が見え始めた年寄りにとって、高校時代の友人からというだけで、もう懐かしさにあふれ嬉しくなるものだ。そこでちょっと会話をしてみたくなった。
その友人というのは十年ほどの間、夫の介護に尽くされ、そのご亭主が昨年逝去されていたので、さぞお寂しい思いをなさっているだろうと案じていた矢先だったので、意外な文面に少々興味を感じて
貴女の言う「幸せ」ってなんでしょう、尋ねてみた。
すると彼女から「二十四時間自由な独身生活」ですと答えが返ってきた。
思わず、「八十五歳にして得た独身貴族の生活」なんと素晴らしいこと、きっと素敵な新芽が出るかも・・・」とうれしくなった。
これから先、彼女がおそまきの独身貴族の生活を堪能した後、出てくる八十五歳の新芽ってどんな芽かしら、と想像するだけで老いた心の弾みにもなる。
彼女の、いわば他人の未来をじっくり眺めるのも乙なものと思う。年を重ねたからこそ、味わえる楽しみではないでしょうか。

2020年 12月 31日
大変な時代がやってきた。 2020.12.31
とうとう一年が終わる月、十二月がやってきました。早くも一年が過ぎるのかとあっけなく過ぎ去った日々を振り返ってみました。
一月はつつがなくお正月を過ぎしたものの、二月ごろからの豪華船「ダイヤモンド・プリンセス号」の新型コロナウイルス感染症患者の発生に始まり、世間はすっかりコロナ禍最中のあり様に変わりました。
桜が咲いても花見にも出かけられず、ましてや会食もままならないありさまで四月を迎え、春の気持ちの良い季節感を味わうことはできませんでした。さらに六,七月になると、ことのほか大雨が降り続き豪雨による水害も多発しましたが、気の毒に、コロナ禍のため助け合いの援助も薄かったようです。七,八月は盛夏の季節。氏神様のお提灯を下げての賑やかな夏祭りや、ドーンと気持ちよく打ち上げる河原での花火大会など、夏のムードを盛り上げる行事もなく静かな暑い夏を過ごし、感染者数が少々収まったかに見えたのも束の間、また十二月入って大きな第三波が押し寄せてきました。こんな状態では年内に新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかかりそうにありません。大変な時代がやってきました。
そんな時、ギャラリーを営む八十五歳の媼は思うのでした。思い返してみれば、戦後の物資のない時代を家族の温かい愛情や接する人々のぬくもりと共に、自然に触れ、季節に触れそれらの移ろいを楽しみながら「感性の豊さ」を何よりも大切に暮らしてきた私はとても息苦しい思いがします。
感染予防のため仕方のないことですが、ギャラリー来訪のお客様のマスクで覆われた顔からは、明るい笑顔や作品を見るときの満足げな表情などを見ることのできないのも寂しいことです。早くコロナ禍が収拾してほしいと日々思いが募るばかりです。
しかし私にとってなによりも有難いのは、ギャラリーで長年、作家の熱の入った作品を眺め、それを創った若者との会話が、感性を豊かにはぐくんでくれていたからでしょうか、今では私をしっかり支え元気付けてくれています。
世間は新しい生活様式とやらでSNSが普及し、人と直接会うこともなく「たくさんの人とつながれる」ようになったり、ネット販売なども盛んになってきました。けれども媼の私は矢張り会って話の、心の触れ合いを大切にしたいという思いから、いまだに、回避に努めなくても三密とは程遠い静かなギャラリーを守っています。
コロナ禍の激しい昨今、新しい日常とあれやこれやと、格闘しながら人生の終末を過ごすのも私らしいと満足しているこの頃です。
